築館キリスト教会は、聖書の言葉を大切にする正統的なプロテスタント教会です。
TOP > 築館キリスト教会 日記 > Gospel = Good News による投稿記事
今あなたは人生について何らかの答を求めていますか?
仕事について?
人間関係について?
心の健康について?
生きる事の意味について?
さて、私達の周りには「良い人生のためのマニュアル」的な本やネット上の情報が沢山ありますよね。それらの中には実際に有益なものもあるかと思います。
ところで、世界で最も世に広まっている本って何かご存知でしょうか? ここ50年の発行部数での記録では第2位は毛沢東語録で約8億2000万部だそうです。そして第1位はバイブル(聖書)で、約39億部ということです。
それでは、現在でも世界の圧倒的なベストセラーであり続けるこのバイブルに、私達が生きるために最も必要な問いへの答を求めてみるというのは如何でしょうか?
例えば今あなたが生きる事の空しさ、虚無感を強く感じられているとしたら、聖書はそれについて何を語っているでしょうか? 代表的なものの一つとして、ヨハネの福音書がありますが、まずは15章4~6節を見てみましょう。ここでは、天と地そしてあなた自身の創造主である神と繋がって生きるか、それとも神を切り離して人生を生きようとするかの選択肢について語られています。
4節:わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。
5節:わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
6節:だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せて集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
枝だけが単独で頑張って生きようとするなんて、無理な話ですよね。では、枝がぶどうの木に結ばれているように、私たちと神との繋がりが再構築された場合、私たちの魂にはどのような変化がもたらされるのでしょうか?
その前に、まず人間の喜怒哀楽について考えてみましょう。私たちの心は、どうしても周りの世界の状況に左右されてしまいますよね。そんな心の状態を水に例えるとすれば、「喜」と「楽」の時には比較的澄んだ飲み水のような心になれるかもしれませんが、「怒」と「哀」の時にその水は濁ったり渇いたりしてしまわないでしょうか?
しかし聖書は、神と繋がった人間の内面に関して、周りの状況の変化によって簡単に濁ったり渇いたりしない、「尽きない泉」の例えを用いています。ヨハネの福音書4章を見てみましょう。
13節:イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。
14節:しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
もちろん、神と繋がった人間から「怒」と「哀」が完全に無くなってしまう訳ではありません。でもその支配から解放されて、もっと安心してもっと希望を持ってそしてもっと強く生きれることを、私たちは実際に体験します!
聖書によれば、私たちは闇の世界に囲まれて生活しています。あなたも実際にそのように感じることがないでしょうか?でも恐れることはありません。なぜなら、神と繋がるということは光の中を歩むことを意味し、聖書はこのように宣言しているからです。
ヨハネの福音書1章より、
5節:光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
それでは、神と繋がるためには何をしたら良いのでしょうか? そのために失うものが大きいとお考えですか? どうでしょうか? 下記にお目を通してあなたご自身で判断してください。
☆イエスの十字架によって現された神の究極の愛の深さと、それから3日目に起こった復活によって現されたその究極の力を、真実として受け入れることが出来ますか?
☆悩みと自己主導の生き方から祈りと聖書の知恵による生き方に切り替えて、これから先のあなたの人生の主導権を神に委ねて、その結果真の自由と解放を得る決心は出来ますか?
最後にもう一度お尋ねします。今あなたは人生について何らかの答を求めていますか?そしてその良い答えは得れたでしょうか?
祈りと聖書の知恵にそれを求めてみませんか?